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2002/01/15 - Tue あなた成人ですか?

見たくれも精神的にもまだ20歳な気分のワタクシなんですけども、ついに先月25歳になってしましました。成人式やったのが5年前・・・そんなに経つものなのかなぁ、と昨日は感慨深くテレビを見ておりました。俺が高校に入ったころ、コイツらは「最小公倍数」とか習いながら給食くってたんですよ。それなのに、なんでみんなあんなにフケ顔なんですかね。とても20歳とは思えないようなのが一杯写ってましたよ。過剰な飽食時代が招いた結果でしょうかね、ザマあみろです。

たかが5年なのかもしれませんけども、時代・世代でいうと大分違いますよ。小さいころ木登りしたり、池に落ちたり、虫を飼ってみたりしたことのない連中かもしれません。だって、俺たちが小学校1年生の時、丁度ファミコンが誕生したんです。彼らが小学校1年の時にはもうPCエンジンなんてありましたから。我々昭和51年代の世代だと、まぁ個人差はあるかもしれませんけど、ファミコンは友達と遊ぶ時ヒマでやることがない、か、雨が降ってるから外で遊べないときに、しかたねーからファミコンするかって感じだったんですよ。5年離れたらそうじゃないです。俺の地元の近所のガキんちょもそうでしたが、もうファミコンがメインのオモチャですからね。たまには外で遊ぼうかとかいう感じでしたよ。そんな彼も中学以降はすっかりスポーツマンになりまして、今では競輪選手を目指して頑張ってるようです。最近連絡よこさないので、イイ活躍してるのかもしれません。S級の選手になる!と言い切ってたので多分なるんでしょうな。彼が宣言して実現してないことが今までないですから。そんな彼も今年成人式ですな。まぁこういう20歳は絵に描いたような模範図なので現実には「いない」と考えて差し支えないでしょう。

さて、昨日のニュースステーションみた人いますかね?今年成人になった人間を30人くらい集めてインタビューみたいな、まぁごくごく一般的なコーナーがあったんですけども、思わず失笑した人は結構多いと思います。20歳の人間ってあんなに日本語しゃべれないもんなんでしょうか・・・ちなみにですね、我々が成人式の時、やっぱりテレビで同じようなのを見まして、「将来の夢は?」とかいうまたありふれた質問なんですけど、しっかりした言葉遣いでわかりやすく力強い説明の仕方に「コイツ、ホントに俺と同じ年かよ?!シッカリ考えてるんだなぁ。」とわが身を恥じたもんです。30人いて、1人もまともな日本語文法で、中身のあることをしゃべりませんでしたからね。さすがのテレ朝もまさか現代の20歳がかくなるものなりとは思わなかったでしょう、もっと進行を考えるべきでしたね。

久米 宏、あの人はシロウトなんでしょうか、何年ニュースキャスターやってるんでしょうか。自分でネタと質問をふっておいて、何にも答えないんですから。普通、視聴者側が知りたいことってのは「今の20歳が、どんなことをしゃべるのか」「その現状に、アンタはどんなことを感じるのか」の2点です。それをきいて「なるほどなぁ!」とか「ほうほう・・・」とかうなづいたり「またトンデモナイ事いったねぇ」とか首を横にふったりするのが、ニュース番組なワケですよ。まぁ結論から言えば、「君たち(ニュースステーション)は、何の為にその成人30人を集めてきたの?」という感じだったのよ。おそらくね、あの呼ばれた子たちも、久米 宏ってこんなにアホなのか、とがっかりしたことうけあい。この前もアフガンから生中継してましたけど、ホントにしゃべれないねー。自分の持論がない人なのよ。原稿を読む合間に「空が青いです」「コーヒーがうまいです」「おじさんが歩いています」とか小学生の日記みたいなニホンゴをちょろっとはさむだけ。女子高生の方がよっぽどまともなことしゃべるでしょう。せっかくのイイ企画がまったくムダな時間になってしまったニュースステーションに拍手喝采、失笑の嵐です。

ところで今日の表題ですけども、昨日町を歩いて新成人の話し声だとかテレビでインタビューを受ける彼らを見て、既成人の皆様はどんな思いがしたでしょうか。何度も言いますけど、ワタシはまだ精神的にも見た目にも20歳ですよ、けど中身は年相応なつもりなんです(笑)・・・まぁね、そりゃ知らない人ばかりが写りますからなんともいえないってのが正直なところですけども、「成人になって感想を」という質問に一番多かったのが「あんまり変わらない」「なんもかわらない」という「ただ20歳になっただけ」という答えなんですね。

実際、俺の時もそうだったな。しかし、不思議なもんでこうやって下の世代だと思って眺めているとなんとも情けないじゃないかと感じるんですよ。成人になったら責任が云々、法律が云々、とか別にどうでもイイんです。そんなものに絡めたって、仕事してない連中に責任問題を問うてもわかるわけねーべ。ちょっと考えてみてくださいな。今、アナタが振袖を着て歩いていると突然カメラとマイクが目の前に。そこでアナタが何かを口にするとしましょうよ。今日は成人式です。アナタも大人の仲間入りの日です。そんな日に自分に向けられたマイクとカメラ。一呼吸すれば、ちょっとは背伸びしてもまぁ「まともなことをいわなくちゃ」という意識がなんとかたどたどしい日本語ではあっても、アタマの中である程度は作文してくれるんじゃないのかなーと思うわけです。そこまでしなくても、「恥ずかしいことはいえない!どうしよう」くらいの自尊心があるもんでしょう。ところが、みているとまぁみなさんそろって「えー、あまり変わらないですね」「まだ子供の気分ですね」とか平気で即答すること・・・別にそれが正直なところですから、それはそれでイイんですよ。何の恥じらいもなく「これが私のアンサーよ」みたく答えているのがなんとも時代は変わったと感じるワケです。まぁこれも個人差ありますけどね。

これはひとえに「他人に無関心世代」が到来したことを意味しているのかなぁと思うワケです。極論だと「自分が生きてりゃイイじゃん」にたどり着く意識というか感覚というか。他人に無関心だと、人は人付き合いがヘタになっていきます。人付き合いがヘタだと言語能力が落ちていきます。言語能力が落ちてくると人が集うコミュニティーの実在が薄れていくわけです。これは都会育ち・田舎育ちもありますが、子供の頃よく近所のおばちゃんにお菓子をもらったり怒られたりしたことがある人間は圧倒的に団塊世代より上が多いです(つまり我々の親の世代)、けど俺たちも実際近所のおばちゃんが・・・というのは体験してます。昭和50年代前半。今の子供達は、どうなんでしょう?団地もマンションも増え、ゲームも一杯の現代で、はたして近所のおばちゃんが、近所の子供達に声をかけることがあるんでしょうかね。田舎ではもちろんまだ健在してると思うけど、今の東京でそんなこと稀じゃないかと思います。

我々団塊世代の子供が次に残す世代、つまり、団塊世代の孫にあたる世代なんですけど、なんか恐ろしいなぁという気分です。自分の子供があれよりももっと社会性も人付き合いもニガテな子供、そういうのが必要とされない時代に産まなくちゃいけないというのがとても鬱になります。多分、田舎と都会でかなり極文化されると思います。他人に興味を持たない社会層と、そうでない社会層のギャップが大きくなるというか。それに次にくる世代は、「相手の顔をみずコミュニケーションを取る」のが「アタリマエ」の世代ですから、なおさらでしょう。

これもまたどう努力するべきなのかつかみ所がないテーマなんですが、少なくとも毎年こうした「ジェネレーションギャップ」を感じる現実をしっかり自分の目でみて「こんなものなんだなー」と流さないような人間でありたいと痛感しています。今の社会も、大不況も、政治のやり方にそう感じるのと同じように、とにかく「アレがあたりまえ」というのは違うんじゃないかと疑問を持つ事じゃないのかと考えています。ナニをどういう方向に変えるべきなのかははっきりわからない、けど疑問は常に何がしのアクションのキッカケにはなりえるんです。

全然いつもと変わらないある25歳青年の祝日、「我が子にああなって欲しくはない」という危機感が沸沸と湧き上がるのは、これも年をくった証拠なんでしょうかねぇ・・・(笑)

2002/01/07 - Mon 人はわかっちゃいるのになぜ・・・するか?

明けましておめでとう御座います。このDAILY MASAも、開設当時は、確実に隔日で書いていこう思ってたんだけどHTMLでかかないけないのでメンドくせー、と早くも挫折気味の滑り出しとなってまいました。今年はちゃんと日記つけようかなぁと意気込んでおります。イイんです、これは自分に向けた言葉なんで。大体どのサイトいってもそうでしょ?いわゆる「日記」「エッセイ」「今日の一言」なんてのは、書く人の自己満足であって、書いているその状態と、書きあがった時に自分で最初に目を通すその瞬間が気持ちイイわけですよ。そりゃ人に読んでもらいたいからWEBに上げたり、自腹で本なんか刷って大きな赤字を出したりするワケでして、そういうのもみんな「書くことがスキ」な人間の自然な行動なんでしょう。ワタシは本なんか出しませんが。

さて、今日は新年の仕事初めで御座います。4日から駆り出されるかわいそうな方もいらっしゃいますが、ワタシは今日からなんで。イイなーとかいわれても困ります。「4日からでしょ、イイなあ!」というSPAMが結構来ました。送ってくれるのは結構なんですが、どう返事していいかわからんっつーの・・・(^^ゞ「イイでしょ!」くらいだったら一々返事するのもメンドウだし・・・送ってくれる方はどういう反応を俺に求めてるのでしょうか。

というわけで、今日が仕事初めなワケでして、なので朝の雑務を終えてから旧年をゆっくり振り返ろうと、そういうわけです。普通は紅白歌合戦等を見ながら「今年は色々あったねぇ」「ホントだねぇ」と毒のない会話でマッタリするのが正しいですが、ワタシは今、こうしてマッタリとした気分に浸ります。あ、ワタシのデスクの隣でFAXがウイーンと一枚何かを印刷しました。が、しったこっちゃありません、ワタシはもっと正月気分に浸りたいのです。コーヒーついで来よう。今日は曇ってるなぁ、せっかくの気分も台無しだ。

んー、すばらしいですね我が社は。お正月に帰省したたくさんの方達が持ちよったお土産の数々が、お茶台の上にズラリとならび、コーヒーのほか、紅茶、緑茶、ついには梅こぶ茶まで登場したようです。コーヒー飲もうと思ったけど、梅こぶ茶にいたしました。お土産のお菓子もどれを食っていいかわからないので、とりあえず「博多の女」というのを持ってきました。「博多の女」と書いて「ハカタノヒト」と読むようですな・・・「本気」と書いて「マジ」と読む、そうソレ系です。おお!うまい!!もう1個持ってこよう。しかし、静かだなぁ・・・みんなも正月気分に浸ってるのかなぁ。こういうマッタリした雰囲気に合う歌がありますね。

正月一日は

 正月一日は、まいて空のけしきもうらうらと、めづらしう霞(かす)みこめたるに、世にありとある人は皆、姿、かたち、心異(こと)につくろひ、君をも我をも祝ひなどしたる、様異(さまこと)に、をかし。
 七日、雪間の若菜摘み、青やかにて、例はさしもさるもの目近からぬ所にもて騒ぎたるこそ、をかしけれ。白馬(あをうま)見にとて、里人は、車清げにしたてて見に行く。中の御門の閾(とじきみ)引き過ぐるほど、頭、一所にゆるぎあひ、刺櫛(さしぐし)も落ち、用意せねば折れなどして、笑ふもまたをかし。左衛門の陣のもとに、殿上人などあまた立ちて、舎人の弓ども取りて、馬ども驚かし笑ふを、はつかに見入れたれば、立蔀(たてじとみ)などの見ゆるに、主殿司(とのもりづかさ)、女官などの行き違ひたるこそをかしけれ。いかばかりなる人、九重をならすらむ、など思ひやらるるに、内裏(うち)にも見るは、いと狭きほどにて、舎人の顔のきぬにあらはれ、まことに黒きに、白きものいきつかぬ所は、雪のむらむら消え残りたるここちしていと見苦しく、馬のあがり騒ぐなどもいと恐ろしう見ゆれば、引き入られてよくも見えず。
 八日、人の、よろこびして走らする車の音、異に聞こえて、をかし。

清少納言


んー、イイ感じですね、枕草子なんですけどもね、みよこのマッタリした情景。正月の景色をポケっと眺めながら「ああ、お正月なんだなぁ、ホワワワーン」というアホ面が見えるような文章です。清少納言はこんなことばっかり書くんですよ。現代にはとてもよい癒し系作家な感じしますけどね。最近の作家にはこんなのいませんよ!おうむを見て、「おうむ、イイなぁ!人がしゃべるようなことをマネするらしんだよ・・・ホワワワーン」ということをそのまま書くんですから。読んでるこっちもホワワワーンでございます。アタマがボケないうちに本題でもいきますかな。

去年も、一昨年も、その前も・・・遡って高校2年の時からですかね、「今年こそは辞めよう」と思って辞めれなかったものがあります。それは「パチンコ」「パチスロ」。別に辞める気もないんですけど、いや、辞めれればイイなとは思っております。けどね、無性にそろえたくなる時があるの、7を。そろった時のファンファーレを聞きたくなることがあるの。ちなみに、去年ですが、およそ40万の負け越しで御座います。もったいないですね。たぶんもっと負けてます。後から「ああ、もったいない」という事も慣れたし、相変わらず「打つ前」に防げるようなもんじゃありません。

宝くじ買ったことない人いますか?いないと思うけど、宝くじって、なんで買うんでしょうみんな。「もしかしたら3億円ぐああ!!!」とか、「もし3億当たったらマンション買って、旅行にいって、あのバッグとこのカバンを買って」とか、もうどうしょうもなくみみっちいー事考えちゃうの、楽しいでしょ。10分くらい妄想が続くと、最後には「でもやっぱり1億円は貯金して」なんてマジになっちゃうのも正直いえばそうでしょ。15分くらい続いた場合だと、「親には5000万渡しておいて1億貯金で増やしておいて、残りの1億5000万だと、マンション1発、車であんまり残らないなぁ・・・じゃあ、貯金を8000万にして・・・」とか、もうそれは壮絶なシミュレーションが展開されることでしょう。20分後、妄想から冷めたアナタはふと自分にこんな言葉を投げかけます。

「あーあ、俺なにやってんだろ。」(舌打ち)

安心されたい。国民の90%が同じ事を考えているので。そして、俺もまたそうなので。今年の年末ジャンボは30枚買って3900円回収。マズマズである。

ということで、宝くじとは、当たった瞬間のアナタを描く為に買われる富くじ券なワケで、要は絶対に「当たらない」ものなんですよ。アナタが当たるくらいならこんなに不況でみんなヒイヒイいったりしないんですよ、そんなに日本国は甘くないです。当たるわけないんだから。ところがね、パチンコとかパチスロは違うの。「もしかしたら」、たった1000円で2万円くらい儲かるのよ。もっとラッキーだと10万くらいヒョイっと出ちゃうのよ。宝くじはおよそ1000万分の1とかの確率でしか当たらないんだけど、まぁ飛行機が100回落ちるより確率低いんだけどさ、パチンコとかって250分の1かその2倍程度の確率で「もしかしたら」が起こるのよ。もしね、もしね、今日3万円負けてたとしますよね?けどさ、例えば300分の1で大当たりを引くのであれば、300台おいてるパチンコ屋でおよそ7秒に1回はどこかが大当たりしてるワケですよ。そこに「俺」が混ざれるんじゃないのか?と思いません?!でね、でね、今日3万負けてもね、「明日3000円で5回当てれば負けが返ってさらに5000円も儲かる」と思うと「今日こそは勝てるだろう!!」と万券握り締めて入場してしまうわけですよ。

パチを打つ人間にとって、一番ステキな瞬間は、パチ屋の自動ドアをくぐる時です。正確に言えば、駐車場に車が入ったその瞬間からなんです。駐車場の空きを探しているその視線の奥では「今日はどんなドラマが俺を待ち受けているのか・・・座ったとたんに7が一直線にそろうかな?それとも1万入れたところで怒涛の逆転劇だろうか・・・今日はドル箱が沢山俺の足元に積みあがることだろう、羨ましげにみるギャラリーの視線を背中に俺は今日も中指を左から右へ滑らせる・・・」という「今日の予定」を反芻するんです。自動ドアをくぐる時にはもう「当たっている俺」なんですよ。何の根拠もないですが「今日は勝った!!!」という思い込みと共に、自身満々で台を選ぶんです。この瞬間、この瞬間に全員が「幸せ」なんですよ、台を打つ人として男として!ある意味、これはエクスタシーに似ています。高揚した気分が極限まで盛り上がり、期待感、そして開放感と野心が、一気に目の前の台に注がれる。最初に7がそろった瞬間、その全ての思いが放出され、ハァと息が漏れる・・・これは、男性の射精と同じなんですね。まぁ女性のソレも同じですが。女性だと「よし来た!!!」って感じでしょうか。

そしてそのまま何度も射精できればイイのですが、大抵は1回の射精で終了することがあります。20分後、やはりそれと同じ「むなしさ」があるんですね。射精はその瞬間からおよそ4秒できますが、パチはひどいんです。一回でたコインなり玉なりが再び台へ帰っていくまでに微妙な時間があります。20分から30分くらいでしょうか。いわゆる「ジラシ」というものです。

セックス、ことさら男性の射精にもしこの20分から30分の射精後ジラシがあったら、おそらくきっと、色々耐え切れません。男性はもっと仕事に怠慢になりあらゆることに無防備、不精になり積極性もなくなるでしょう。それが「娯楽」の世界で起こっているワケですよ。このジラシの間にもう一回快楽を得ることができるかもしれない・・・という夢を追うんです。セックスは、一度射精したら100%の生理的満足満足が保証されています(男性の場合)。だから男はすぐに立ち上がるのです。しかし、パチンコは違う。「レンチャン」する「かもしれない」んです。これはたまらない。男はすぐには立ち上がらず、「え、まだ出せるの?!」と顔の緊張が抜け、再びその快楽へと向かって手なり腰なり・・・という具合に、台を睨み付ける。周りを見ると、成功者が多いように見えるかもしれないが、実際のところ1/3どころか1/5くらいしかその成功者はいない・・・残るのは、射精後の空しさと「射精後もまだ期待して夢を見てしまった自分」への後悔のダブルパンチなのです。

ここまでわかっていて、なぜここの支配人はギャンブルを止めようとしないのか・・・といささか疑問であろう。ワタシも疑問である。または、もっと親しい関係者は、「これじゃちっともお金がたまらないじゃない!」と嫌気が差してきているかもしれない。まったくその通りである。

しかしね、「セックスやオナニーを辞めなさい」といわれたら、ワタシははっきりとこういうであろう。「NOだ」、と。

うーん・・・正月のマッタリ気分が大変アツイ内容になってしまった・・・(笑)今年もよろしくです。



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